わたしから発する、絶賛とまでいかないクールな反応でよければ、いくらでも、ひーひーいってくれたらよい。
わたしは、あれした、これした、あれ出来る、これ出来る、と、あまり言わない收毛孔。
言いたくない。
なぜなら、きっと、嫌な臭いがするだろうと想像するから。
人に自分を知ってもらっても、さして喜びを感じない。
自分が自分を知っているから、満足。十分。
自分を通り越して、人にまで承認欲求が及ばない。
たぶん、内向的な性格から来るものだろう。
それと、変な自意識過剰。
砂糖と塩の混ぜ方を間違えているかんじか。
隠し味の砂糖は料理を引き立てるが、甘さが出過ぎると逆効果。
ほどほど出すのは、バランス感覚が必要だ。
やり過ぎと、やらなさ過ぎの、中間が良い。
ちなみに話はごろっと変わるが、
ドキュメントやニュースで、誰にも知られず最期を迎えた人のことを知る。
不幸の連鎖により、誰にも知られなくなった経緯、いきさつは気の毒である。
ドキュメンタリーは、伝える側の気持ちが反映されている。
本人は本当にそう思っていたのかどうか、わからない。
事実だけを淡々と伝えると、見る側は客観的事実からその奥にあるものを想像する。
不幸な人々や、喜びに満ちた人々、色々いる。
一人の人にも喜怒哀楽がある毛孔角化症。
一つ一つのドラマは人の数だけある。
才能や作品に恵まれた有名俳優も、病魔に冒されたりする。
華やかな光の部分を世界中の人が知っているだけに、明暗の落差は周知の事実となる。
一般の人々は、色んな想いを抱く。
人の想いに蓋をするわけにはいかない。
有名人は特別枠だとしても。
しかし、あんまり人の思惑ばかりに囚われると、自分の幸せを逃す。
だが承認欲求は、自分が得たい幸せのために、承認されることを渇望する。
ぐるぐるそういう矛盾と闘うことになるのだろう。