って数えて安堵している

自分の遠くて遠くない将来。全くの想像図。
今の家は次女に明け渡し、夫の実家に引き篭もる。
数年に一回、自分の実家にステイする。
いや、今の家を離れられないかも知れない。
もう夫も孫たちもいない。(推測)

息子が定年後、帰って来ているかも知れない。
わたしは90歳を越えている。
ギリギリまでヘルパーさんに自宅に通ってもらい、限界が来たら老人ホームに入っている可能性は大。
限界の前に、あがかず、すんなり入るかも激光 脫毛
それは良いとして。

逆算する。
それまでにしておきたいことは?
色々あるが、全て後回し。
なぜか?
めんどくさい。
明日でもいい、来月でもいい、来年でもいい、、、と、どんどん先延ばし。
したいことよりも優先するものは何?

ぬくぬくの電気敷布に潜り込む快感だったり、定時に起きなくてもいい朝の開放感だったり、、、
早い話、何もしたくないということだ。

したいことがあるのではなく、すべきことはあっても、したくないのだ。
根っからのサボり気質。
ギリギリまで何もしたくない。
1日も長く、何もしなくてよい日が続くことを願う。

で、何もしないで、一日中、何をする?
ボーっとしていたら、あっという間に一日が終わる。
何ごともなかった幸せを噛み締める。
ちょっと退屈かな、ぐらいには感じても、何もしなかった後悔はない。
わたしは虚しさは無縁。
しなければならないことを後回しにして、何もしなかった日は、あと何日あるから大丈夫、と指を折って数えて安堵している伯明翰樓盤

何をしようかな、と考えるのが好き。
若い時は、あまりにも何もすることがない空白の日は若いエネルギーと暇を持て余し、苦痛だった。
空白を埋めるには、前もって予定を組み入れるべきだと気づいたけれど、今は、することのある日と、することがない日がバランス良く混ざっていて良い調子。
ではあるものの、さすがにぴったりバランス良くうまく行くわけではない。

健康でちゃんと食欲があって、ちょっとした退屈を埋める何か楽しみがあれば、それで良し。
さらに未来への明るい希望の火が、ほんのりちらちらしていたら申し分ない。
退屈一歩手前が、最高の贅沢。
ガムシャラに頑張るタイプの対極。
のたっと幸せを感じられる、ゆったりした時間を味わえたら、それで満足。

しかし、「退屈(虚しさ)」と、「満足」の、絶妙なバランスはかなり難しいさじ加減を要する。
将来は、FMラジオを聴きながら、写経を日課にしているかも知れない。
少しだけ細い線で俗世間に繋がり、あとは自分の世界でニコニコふわふわ浮いているような気がする。
それが今のわたしが想像する、ちょっと先のわたしの未来理想図。
あらま、今とあんまり変わらないthermage 效果、、、。