面白くないのではないだ

一人暮らしのシニア男性が3食手作り食事をSNSでアップしていて、美味しそう。
なかなかマメな人だ。
趣味は料理なんだそう。
趣味と実益を兼ねていて結構なこと助聽器だ。

脳にだけ刺激を与え続けるのではなく、生活を楽しむことが出来れば良いのに、男性は生活そのもの、暮らしを楽しむことをしないような気がする。
暮らしと切り離した趣味に没頭したり、スポーツや、車、登山、などなど、暮らしとは別の、特別なことをしないと面白くないのではないだろうか。
そんな人は暮らしのベース、つまり家事はどうしているのか。
器用にこなす男性もいる。
逆に、不器用な家事嫌いの女性もいる。

わたしに関して言えば、家に一人で居ると、わりとご機嫌だ。
退屈することもあるが、活動日とほぼ日替わり、交替なので、退屈は刺激の下準備、メリハリになる。
たくさんの退屈があってこそ、ほんの少しの刺激がスパイスになって効く。
わたしは、歳を取ったなあと、つくづく思う。(悪い意味ではなく)

去年は、ちょっと刺激があり(趣味分野で、ワタワタした)、そちらに気を取られすぎ、とても大事なことをすっかり忘れて、大変なことになった。
実社会(実業分野)で大ダメージ、被害を被った洗牙 價錢
まだ次善策は整っていないが、被害を拡大せず食い止める手はとりあえず打った。
大きな地滑りはストップ状態ではあるが、小さな地滑りは収まらず良い方向には向かってないものの、静観、待機。
今年は打って変わって、落ち着きすぎて退屈。
とは言え、昨年の失敗をまだ修復していない。
マイナスは落ち込んだままで、回復していない。
もっと躍起にならなければいけないのだが、騒ぎもせず、落ち込みもせず、未解決なまま、へんに落ち着き、退屈してしまうほど。
どうなっているのだろう。

さらりとした自分。
余計なものが洗い流された感はあるが、大事なものも、同時に流れ落ちてしまったような気がする照CT
眠くなりそう。
また復活する日は来るのだろうか。
20年早い感想だ。
だが、静かな自分も嫌いではない。
ひっそり動かない日々を楽しんでいる。

に怒られているところを

書いていて、なんだか3番目孫(5歳)が母親に怒られているところを連想した。
1番目、2番目はもう小学生なので、そんな注意は卒業している。
が、未だに時々食事マナーを厳しく躾けられている腋下 黑色素

そう考えると、夫の私生活は未就学児レベルということになる。
教育を怠った、わたしに責任があるのか。
私生活は未就学児レベルだが、人に危害を加えたり犯罪には手を染めない。
人としての道徳心、常識はある。
それに、ギャンブルをしないから良い。
わたしはギャンブル?アレルギーだ。

と、かばっているのか、けなしているのか、わからない説明になった。

それはそれとして。
TV大好き夫ではあるが、ある意味、TV中毒である。
ではあるものの、(個人的には)ギャンブルよりマシ。(何度も言うようだが)
わたしの身近にこういう人はいないが、
家に不在なのは良いが、いつもギャンブル場に通い詰め、タバコの煙が染み付いた、独特のニオイを発する灰色の服を着た人、、、
ああいった空気感は著しく苦手で敬遠する永久脫毛
まさにわたしとは水と油の感覚である。

そう思うとTV中毒など、かわいいものである。
電気代しか要らないし。
それに、垂れ流しTVは思考力を奪うので、禅のようなもの。
無になれる。脳を休ませるにはもってこい。
労働の再生産に向けて、心身をリフレッシュしている。
それはアタマではわたしは理解している。
他人のリフレッシュ行動に制限を加えるのはどうかと思う、、、

、、、のではあるが、、、。
わたしは、同じ空間にいる。
しかもずっと共有の家。
わたしのリフレッシュ方法と相反し真逆で、わたしのストレスとなる。
理解ばかりしていたら、わたしが潰れる。
夫の明日の再生産のために、わたしの再生産が出来ない。

ま、そこは、お互い、譲り合って、明るい未来へ、だ、
(急に文章を段落ごと端折った感あり。
もう書くのがめんどくさくなっている。
不毛感あり)

ということで、協力して楽しく暮らしましょう公司禮品。(無理矢理、結論へ)

と、本当はここからが第二部。
だがしかし、、、
胸の中で思っても書かないのが、最近のわたしの快適ブログ生活。
書いたところで自分をおとしめるだけ。
というか、知られたくない。
しっかり自分の胸に収める。
だから、カラシやワサビを効かさない、サビ抜き回転寿司になっている。
美味しくない。
が、害もない。

幼児では無理だから

トランプ。
ゲーム中、先に勝った小学2年の孫が、わたしの背後からカードの出し方をアドバイスしてくれる。
「今、この強いカードから出す!」と。
もう完全に孫に完敗したthermage 效果
ババ抜きとか、そういうアタマを使わないゲームではなく、カード配分と出し方のタイミングで勝敗が決まる「大富豪」というゲーム。
わたしの若い頃は「大貧民」と呼ばれていたもの。
わたしの時代では無かったものだが、4枚同じ数字を揃って出すと「革命」と呼ばれる、強いカードと弱いカードの価値が逆転するルールや、更に新しいルールとしては、「11」を出された次の人からはカードを11より弱い順に出さなければいけない縛りが加わった。
わたしの時代のルール、娘や娘婿の時代のルール、地方ルールも加わり、面白い。

理解力、記憶力、思考力、即戦力、小学2年の勝ち!!
あっぱれ。
はぁ???
喜んでいる場合ではないが。

娘、娘婿、小4男児孫、小2男児孫、わたし、5人で「大富豪」をすると白熱。
保育所年中?女児孫が加わると、(5歳孫は)大富豪が出来ないので「ババ抜き」にチェンジ。
2歳女児孫は最近は、以前ほど激しく邪魔をしなくなった。
いずれ3年も経つと参加することになるだろう。
わたしの勝算順位はどんどん落ちそう。
皆んな、わざと負けてくれるかも知れない。
そう遠くない将来だ美白嫩膚

欲を言えば麻雀が良いのだけど、麻雀は1卓で4人しか出来ないし、幼児では無理だから、やはりトランプが無難。
姑とも子供が小さい頃、夫の実家に行くと
わたしたちは5人でよくトランプをした。
娘もわたしも懐かしいシーンが蘇る。
娘は孫だった当時を、わたしは嫁(母)だった当時を再現している。
姑役をわたしがスライドしてバトンタッチ。娘は当時のわたし(母)役にスライド、当時のわたしの子供たちは今の孫たちに入れ替わる。
姑がいなくなった代わりに孫たちが時間をスライドして順番に一代ずつ時代が移り送られている。

先日見た写真。
寝転んでいる若い舅の頭をぽんぽんと軽く叩いている幼児。
幼児は、夫の姉の子供。舅にとっては初孫。
(その幼児も、成人して家庭を持ち、子供はもう社会人。孫が出来ても不思議ではない歳)

同じ部屋、同じアングルで、寝転んでいるのは、夫。ぽんぽんと叩くのは孫。
そのショットとダブった。
目の前に同じ光景があるが、時代は移っている水光针
(さらに、ぽんぽんと叩く乳幼児だった孫はトランプ指南までしてくれるようになった)

同じ空間に代が代わり時間だけが移っている。
静かな幸せの光景である。
些細なことにこだわったり、腹を立てたり、ほんとうに小さな小さなことだと感じる。

世界に引き篭もれる楽しみ

「お金、地位、美貌」で得られる幸福はたったの10%で遺伝が50%とされている。
が、残りの40%に目を向ければ、幸せはすぐにやってくる!をキャッチフレーズに幸福の啓蒙活動を継続中磁力共振 價錢
毎日ブログ更新されているが、その方の本も買ってしまった。
届くのが楽しみ。

あえて作家名を書かないところが、わたし流。
わたしは自分の閲覧数を減らしてもいいから、その引き換えに、自分だけの世界に引き篭もれる楽しみを確保できる。
ブログの肝心のところの中味(情報)を共有しない、シェアしないのでは、他の方がわたしのブログを読んでも何の得ることもないのに、わかっていながらリスクを取る卵巢多囊症

スマホでも毎日更新されるその人のブログが読めるのに、あえて本(紙で製本)を買う意味は?
しかも、これ以上、モノを増やしてはいけないのに。
さらに、全く読んでいない新古品の本(10年ぐらい前の)が数冊あるのを先日、本棚の中に発見したのに。
(生情報はさすがにら10年近く前だと古すぎる)

ある、うねりだと思う。
自分が変わろうとしている。
人に受け入れられなくても全く平気だったわたしだが、ブログの過去からの推移を見ると、やはり胸に感じるものがあるBB過敏

ちなみに、2016年夏から冬に書いていた、わたしの別のブログを発見した。
本当は、過去に自分の書いていた小説ブログを探しているのだが、ブログ名を忘れたので探しようがない。
こんな忘却人間になるなんて、過去のわたしは思っていただろうか。
探せなくて絶対忘れるだろうと確信していた(だろう)半年間だけのそのブログをスマホに貼り付けていた。
しかも、IDもパスワードもメモっていた。

ちょっと自分探しの旅に出ます。
(たとえ家から一歩も出なくても)

日を迎えるのが更に先

働きたくないとストライキを起こす脳と、働け!という脳が格闘し、だいたいマイナポイントの受け取り方や使い方がわかった。
問題は、わたしはその指定の出口(決済)で、たいしてお金を使わないことだ。
近所のパン屋さんでは1週間に300円ぐらいしか使わない。
全く使わない週もある。
だとすると、1か月1200円、1年で14400円。
付与分20000ポイント使おうと思うと、1年半かかる。
しかも、そのパン屋さん以外の店舗で買いたい場合は、付与ポイントを使い切る期日を迎えるのが更に先延ばしになる。
何年も何年もかかるわけ激光去斑
先に自分で現金でチャージしなければならないかんじだし。
コンビニでチャージできるようだが、なんだかなあ、、、。
チャージも面倒、使うのもあまり予定がない、そんな電子ポイント、、、
(チャージしなくても銀行口座から引き落とされるやり方もあるようだが、既にクレジット引き落としに設定している。
さらに、、、また追加、、、なんて、、、イヤ)

銀行や金融機関を経由してワールドプレゼントポイントに換えるというのもあるようだが。
これまた、またワールドポイントか、、、と食傷気味thermage 價錢
現金ではなく、何かに支払うマネーとなっている。
使わなければ、なんの意味もない電子マネー
モノ、コト、サービス、運賃、交通費、などなど。
唯一、支払いではない使い方をしたければ、人に電子マネーをギフトとしてプレゼントするぐらいか?
人件費として使いたい。
昭和人間は、なんだか疲れる。
気長に近所のパン屋さんに通い、コツコツ使うしかないのか。
(コツコツ貯めるのではなく使うのが、人生計画、生い先短いパターン)
PayPayのQRコードが目に入ると、旅先のお土産物屋さんなどでもサプライズ的に使えることがある。
スーパーの一角のソフトクリーム屋さんで使えたりもする。
処方された薬を受け取る院外薬局で使えることもある。
もともとPayPayは、わたしはクレジット決済にしているのではあるが、チャージ式ではなく使わなければ減らないというものではない。
他の支払いは別のクレジットを優先しているため、PayPayの出番はかなり少ない。
楽天Edyを選択することも出来たが、申請当時はPayPayのほうがまだ身近だったこともあり、PayPayにした男士身體檢查計劃
のではあるが、まだ半年も経っていないのだが、申請時点から行動パターンが変わったのでPayPayの出番がなくなった。

ただその時の思いを書き殴

自分の過去ブログ記事に励まされる。
どなたかが引っ張り出して読んで下さった11年半前の記事。
まだまだ頑張ってたなあ、、、わたし乳癌篩查計劃

現在の自分が、過去の自分に励まされるなんて、想像もせず、当時はただただその時の思いを書き殴っていた。
そんな内容に励まされる現在のわたしって、どんな状況?

自分にさえ、移り変わりがある。
まして、時代や人は変化して当たり前。
あの時は良かったなあ、、、という懐古主義や比較ではなく、励まされるって、どういうこと?
頑張れよ!と、過去のわたしは、今のわたしに言ってくれている?

ふーん、、、ふーむ、、、
過去のわたしと、現在のわたしは仲良しなのだ。
ということは、未来のわたしとも、きっと仲良しだろう美容優惠

あるがままを受け入れる、、、あるがままの中にも、自分はこうなりたい、という理想や意志がある。芯がある。
それに向かって、無意識なりにも歩いていたのかな、、、と。

そうすると、10年後の自分は、今のわたしを誉めてくれるかも知れない。
たまには、褒められるようなことを頑張って行うのも良い。
自分が自分を褒めてくれる、って、じわぁっと幸せだHifu 效果

またまた毒にも薬にもならないことを書いている。

遂行しなければなら

なにしろ、全エネルギーと知恵と労力と時間とお金をかけて、義務を遂行しなければならない。
宗派が違っても。信仰する神様が違っても膠原自生
統一教会などは、結婚までさせられるのだから、驚きを通り越して、完全に意味不明の洗脳をさせられる。
そこまで顕著なわかりやすい過激なことはないが、カテゴリー分けすると、宗教グループに属する。

洗脳されきっていない、中途半端な脳で、冠婚葬祭を執り行う。
麻酔をせずに外科手術を受けるようなものだ。
わたしは、かなり苦しんできた。

最初の頃は、はいはい、と素直に従い、なんとも思わなかったが、次第に眠っていた自分の考えが段々現れてきた。
葛藤。
だが、わたしも日本人に多い、やんわり仏教。
三々九度の盃をウエディングドレスで行う。
神式で、チャペルではなかったが、どっちでもたいして変わりない。
神聖なクリスマスイブはターキーでお祝い?!(意味もわからず、イメージ戦略に毒されている)

呪縛が解けた。


ある次男さん、Aさんのお宅。
墓地を買ったらしいが墓石はまだ。
その墓に眠る予定の人々もまだ元気で、亡くなった人はだれもいない。
だが、子供に後々の負担を押し付けることになってしまい、悪いことをした、と後悔されている。
誰もいない墓。
これからも守る人もいない墓。
これは、墓なのか?
樹木墓にしたらよかったかな、と仰る次男さん、Aさん。
この場合、宗教はPerfect Medical 好唔好
先祖を祀るのは長男の役目。
たまたま長男に生まれたから、その先祖祀りの役割が回ってきた。
たまたま回避できた人もいる。

そう考えると(どう考える?)
たまたま長男と結婚したわたし。
信仰もしていない祀りごとの係を押し付けられている。
が、先輩嫁である姑たちがやっていた。
さあ、自分の番。
いきなり手を離す。
バトンは、谷底へコロコロ落下。

今は次世代の嫁もいない。
婿なら素晴らしい人々が2人もいる。
が、バトンは渡さない。渡せない。
バトンは谷底へ比堅尼脫毛

息子はやがて谷底からバトンを拾ってくる日が来るのだろうか。
バトンを谷底に捨てたのは、わたしだけの責任ではない。
渡す相手が不在なのだ。

宗教心の押しつけ、祀りの義務、
夫のため、世間体のために渋々やっている。
樹木葬も商品化される時代。
次男さんなら飛び付ける。
重いものが、どしんと乗っかった長男の嫁は、なかなか一気に思い切った行動はできない。
で、またまた形骸化された行事を行うことになる。