やはり罪をおかし

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 津軽藩主だった津軽信政という人の話(17世紀末から18世紀初頭)
福士という侍がいた。やはり罪をおかして「追放」の刑になった。
 家族も同行しなければな
らない。ところうが、福士の妻はちょうど腹が大
きく、産み月だった。追放実行の責任者は目つけの館山という男である海外移民。藩
命は「たとえ腹が大きくても、即時追放
せよ」である。が、館山は亭主だけ
は藩外に逐うと、その妻をひそかに自宅に連れてきた。そして温かく世話

し、無事に赤ん坊を分娩させた。このことが洩れ、重役はまた信政に判断を
求めた。重役とし
ては、館山を罰する、という意見である。が、信政は首を
ふった。そして、こういった。
「館山は、私を人非人の立場から救ってくれた恩人である。罰してはならぬ公司轉讓
召し出して、さらに重い役につけよ」
 あるとき、信政は「今日は友人の大名によばれたので、夕食はいらない」
といって邸を出た。
ところうが、相手の都合が悪くなり、信政は急に戻って
きた。そして「夕食をくれ」といった。
台所では用意していない。信政はい
らないといったからだ。怒った信政は側近の間宮という侍に「膳部役人はふ
とどきだ。誰だ!……」と聞いた。間宮は「知りません」と答えた。信政は、
「すぐしらべろ」といった。間宮は、じっと信政をみつめ、
やがて「では、
私宅に戻ってしらべます」と応じ收雙下巴た。
 
 その表情をみて信政はすぐ「待て、間宮」といった。そして「私が悪かっ
た…もうしらべなく
てよい」といった。